現代語訳

・(安寧)4年(上鈴173年)
 ・4月15日、ヌナソヒメが生む御子の斎名はヨシヒトというオオヤマトヒコスキトモ※である
 ・また、ケクニヲミ(供国の大臣)にはタケイイカツイツモシコが就いた
 ・また、イワイヌシ(斎主)にはオオネが就いた
・(安寧)6年(上鈴175年)
 ・1月15日、内宮(ヌナソヒメ)が生んだ御子の斎名はトキヒコというクシトモセである
・(安寧)11年(上鈴180年)
 ・1月3日、ヨシヒト(オオヤマトヒコスキトモ)が8歳で代嗣御子(皇太子)となる
・(安寧)38年(上鈴207年)
 ・サミヱの12月6日、皇が罷る
 ・若宮のスキトモは喪還入り、48夜を経れば、新春の祝も無し
 ・イサ川にて禊をし、宮に出て政を聞いた
 ・この際、臣を分けて、旧臣は父を"ウキアナノカミ"としてミアエした
 ・そして、その秋に遺骸を畝傍山のミホド(御陰)に送る、タマテミコの享年は70歳であった

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用語解説

・オオヤマトヒコスキトモ:安寧天皇とヌナソヒメの子で、4代懿徳天皇となった。『記紀』のオオヤマトヒコスキトモに当たる

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原文(漢字読み下し)

・四年(よほ)ツヤヱ 四月十五日(うつきそゐか)に
・ヌナソ姫(ひめ) 生(う)む御子(みこ)斎名(いむな)
・ヨシヒトの オオヤマトヒコ
・スキトモそ

・タケイイカツと
・イツモシコ なるケクニ臣(とみ)
・オオネ臣(とみ) なる斎主(いわひぬし)

・六年(むほ)ヲシヱ 一月十五日(むつきそゐか)に
・内(うち)の生(う)む 斎名(いむな)トキヒコ
・クシトモセ

・十一年(そひ)の一月三日(はつみか)
・ヨシヒトの 今(いま)八歳(やとせ)にて
・代嗣御子(よつきみこ)

・三十八年(みそや)サミヱの
・一二月六日(しはすむか) 皇(すへらき)罷(まか)る
・若宮(わかみや)の 喪還(もは)入(い)り四十八(よそや)
・祝(ほき)も無(な)し 率川(いさかわ)禊(みそ)き
・宮(みや)に出(い)て 政事(まつりこと)聞(き)く
・臣(とみ)分(わ)けて ウキアナの神(かみ)
・敬(うやま)えなす

・秋(あき)骸(おもむろ)お
・畝傍山(うねひやま) 御陰(みほと)に送(おく)る
・歳(とし)七十(ななそ)なり

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現代語訳文の目的・留意点

・この現代語訳は、内容の理解を目的としています
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています
・原文や用語の意味などについては「ほつまつたゑ 解読ガイド」をベースにしています
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)
・予告なく内容を更新する場合があります