現代語訳

・(崇神)62年(上鈴682年)
 ・キナトの7月キミトはツヤヱ(2日)、君(崇神天皇)は詔を発した
  ・「民業は基本である、つまり(糧・財の)土台と言えよう、河内、狭山は水が足らないと聞く
  ・業を怠れば生業は成らない、よって、依網と苅坂に反折の池を掘るべし」
 ・このように命じてクワマノミヤに御幸した
・(崇神)65年(上鈴685年)
 ・7月、任那国がソナカシチを派遣して朝貢した
  ・その道のりは筑紫より北に二千延の海を隔てた新羅の西南である
・(崇神)68年(上鈴688年)
 ・12月ヲナヱは5日ネアヱ、が言切れてものを言わなくなり、寝ているようであった
・(崇神)翌年(69年、上鈴689年)
 ・ネヤヱ1月2日、アメヒツキの後にミヨアラタマ(御代改め)をした
 ・8月11日、が神上がったと世に告げて、君とウチトミ(内臣)が喪還に入り、外の臣は政を執った
 ・10月11日、の遺骸をヤマヘに送った
  ・このは、神を崇めて疫病を治し、三種宝を改めた、そのコトノリは大いなるものであった

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用語解説



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原文(漢字読み下し)

・六十二年(むそふ)キナトの
・七月(あふみつき) キミトはツヤヱ
・御言宣(みことのり) 民業(たみわさ)は基(もと)
・頼(たの)む床(とこ) 河内(かうち)狭山(さやま)は
・水(みつ)足(た)らす 業(わさ)怠(おこ)れは
・生業(なりはひ)の ために依網(よさみ)と
・苅坂(かりさか)と 反折(かえおり)の池(ゐけ)
・掘(ほ)らんとて 桑間(くわま)の宮(みや)に
・御幸(みゆき)なる

・六十五年七月(むそゐほふつき)
・任那国(みまなくに) ソナカシチして
・貢(みつき)なす その道(みち)のりは
・筑紫(つくし)より 北(きた)へ二千延(ふちのり)
・海隔(うみへた)て 新羅(しらき)の西南(つさ)そ

・六十八年(むそやとし) 十二月(しはす)ヲナヱは
・五日(ゐか)ネアヱ 君(きみ)言切(ことき)れて
・もの言(い)わす 寝(ね)ます如(こと)し

・明(あ)くる年(とし) ネヤヱ一月二日(はつふか)
・あめ日月(ひつき) 御代新玉(みよあらたま)の
・八月十一日(はつきそひ) 神(かみ)上(あか)りそと
・世(よ)に告(つ)れて 君(きみ)と内臣(うちとみ)
・喪還(もは)に入(い)り 外(と)の臣(とみ)やはり
・政事(まつりこと)

・十月十一日(かんなそひか)に
・骸(おもむろ)お 山辺(やまへ)に送(おく)る
・この君(きみ)は 神(かみ)お崇(あか)めて
・穢病(ゑやみ)治(た)し 三種宝(みくさたから)お
・新(あら)たむる その言宣(ことのり)は
・大(おほ)いなるかな

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現代語訳文の目的・留意点

・この現代語訳は、内容の理解を目的としています
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています
・原文や用語の意味などについては「ほつまつたゑ 解読ガイド」をベースにしています
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)
・予告なく内容を更新する場合があります