現代語訳

【神崇め穢病治す文(かみあかめゑやみたすあや)】

・この時、上鈴621年
 ・キナヱ春、1月ネシヱは13三日キシヱ
  ・ヰソニヱの皇子は齢52歳でアマツヒツキを受け継いでミマキイリヒコ※のアマツキミとなった
  ・君はミクサツカヒもアメタメシ(上代の例)も為して民に拝ませた
  ・また、齢121歳になる母のイカシコメを上げて御上后とし、齢162歳となる大母のウツシコメをオオンキサキ(大御后)とした
 ・初年の2月サウト16日ツミヱ、オオヒコの娘のミマキヒメを召して内宮とした、姫は齢11歳であった
  ・また、紀の国造のアラカトベの娘のトオツアヒメクハシヒメを内侍とした
  ・また、近江国造の娘のヤサカフリイロネを大スケ后とした
  ・また、尾張国造の娘のオオアマヒメを仮スケとして内侍に据え、長橋のヲシテを執る守(ココタヘ)とした
 ・これ以前のこと、局の后が次々に子を生んだ
  ・内侍のトオツアヒメクハシヒメは、トヨスキヒメを生んだ
  ・内侍(仮スケ)のオオアマヒメは、ヌナギヒメを生んだ
  ・また、内侍のトオツアヒメクハシヒメヤマトヒコを生み、斎名をヰソキネとした
  ・大スケ后のヤサカフリイロネヤサカイリヒコを生み、斎名をオオキネとした
  ・これ故に、こを生んだ母はそれぞれ昇格した
・(崇神)3年(上鈴623年)
 ・9月、シギミヅガキを新都として、遷都した

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用語解説

・ミマキイリヒコ:開化天皇とイカシコメの長男で、10代崇神天皇となる。『記紀』のミマキイリビコイニエに当たる

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原文(漢字読み下し)

【神崇(かみあか)め穢病(ゑやみ)治(た)す文(あや)】

・時(とき)上鈴(あすす) 六百二十一年(むもふそひとし)
・キナヱ春(はる) 一月(むつね)ネシヱは
・十三日(そみ)キシヱ ヰソニヱの皇子(みこ)
・歳(とし)五十二(ゐそふ) 和(あま)つ日月(ひつき)お
・受(う)け継(つ)きて ミマキイリヒコ
・和(あま)つ君(きみ) 三種使(みくさつかひ)も
・上例(あめためし) 民(たみ)に拝(おか)ませ
・母(はは)お上(あ)け 御上后(みうゑきさき)と
・百二十一(ももふそひ) 大母(おおはは)の歳(とし)
・百六十二(ももむそふ) 大御后(おおんきさき)と

・初年(はつとし)の 二月(きさらき)サウト
・十六日(そむ)ツミヱ オオヒコの姫(ひめ)の
・今年(ことし)十一(そひ) 召(め)して后(きさき)の
・ミマキ姫(ひめ) 紀(き)アラカトベか
・トオツアヒ メクハシ内侍(うちめ)
・大(おお)スケに 近江(あふみ)かヤサカ
・フリイロネ 仮(かり)スケとなる
・尾張(おはり)か姫(め) オオアマ内侍(うちめ)
・長橋(なかはし)の ヲシテ執(と)る守(もり)

・これの先(さき) メクハシか生(う)む
・トヨスキ姫(め) オオアマか生(う)む
・ヌナギ姫(ひめ) メクハシか生(う)む
・ヤマトヒコ 斎名(いむな)ヰソキネ
・ヤサカ生(う)む ヤサカイリヒコ
・オオキネそ 故(かれ)母(はは)お上(あ)く

・三年九月(みほなつき) 磯城(しき)瑞籬(みつかき)に
・新都(にいみやこ)

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現代語訳文の目的・留意点

・この現代語訳は、内容の理解を目的としています
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています
・原文や用語の意味などについては「ほつまつたゑ 解読ガイド」をベースにしています
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)
・予告なく内容を更新する場合があります