現代語訳

【ミマキの代 任那の文(みまきのみよみまなのあや)】

・(崇神)10年(上鈴630年)
 ・9月17日、越の治人のオオヒコ※は、ミツカキの君(崇神天皇)の元に帰った
 ・そこで、オオヒコはヤマシロのナラサカにて出会った少女が、このような歌を歌っていると報告した
  ・『見よ、ミマキイリヒコ※(崇神天皇)の哀れな姿を、己の副が反逆しようとしているぞ
  ・裏門から侵入するが、(四人と)行き違いに出立する
  ・表門から違うのを窺う(反逆者が居る)のを知らぬミマキイリヒコは哀れである』
 ・君が凶兆かと心配すれば、生まれ付き聡いモモソヒメ※が歌の意を語った
  ・「この歌はタケハニヤス※の謀反の兆しでしょう
  ・私はタケハニヤスの妻のアタヒメが、カクヤマハニをヒレに入れて祈っていると聞いています
  ・これはモノサネ(それを象徴する物や行為)に違いないでしょう、故に早く手を打ってください」
 ・これを以って、諸人を集めて謀ったが、タケハニヤスアタヒメは既に軍を起こしていた
  ・なお、タケハニヤスは山城へ、アタヒメは大坂と道を分けて攻めてきた
 ・これに対し、君は詔してイサセリヒコを大坂へ向かわせてアタヒメを討たせ、遂に殺した
 ・また、オオヒコヒコクニフクにも詔して、タケハニヤスを討たせた
  ・ヒコクニフクは、山背のワニタケスキインヘに据え、兵を率いて軍を起こした
  ・そして、木茅を踏み平らげてテカシワを結んで戦勝祈願し、奈良坂に到った
  ・また、オオヒコは下道に到って、ワカラアクラと対峙した
 ・ハニヤスヒコ(タケハニヤス)は、川北にいるヒコクニフクを見て「汝は何故 我々を拒むのだ?」と問うた
  ・ヒコクニフクは「汝は天の逆らった、これを討つために来たのだ」と答えて激しく争った
 ・激しい乱戦となったが、ハニヤスヒコの射る矢は当たらず、ヒコクニフクの射る矢は当たった
  ・そのうち、矢がハニヤスの胸に当たって、撃ち殺した
  ・ハニヤスヒコを失った敵軍は逃げて散り散りになったが、これを官軍が追討すれば「我君、我君」と次々と帰順した
  ・ヒコクニフクは、こうして敵軍を治めて皆帰った
 ・10月初日、君が詔を発した
  ・「内は平定したが、外はまだ荒れている
 ・そこでヨミチノイクサ(四道の軍)を発つべし」
 ・この詔を以って、22日にヨモノヲシヱト(四方の教え人)を出発させた

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用語解説

・オオヒコ:孝元天皇とウツシコメの長男。『記紀』のオオヒコに当たる
・ミマキイリヒコ:開化天皇とイカシコメの長男で、10代崇神天皇となる。『記紀』のミマキイリビコイニエに当たる
・モモソヒメ:孝霊天皇の皇女。『記紀』のヤマトトトヒモモソヒメに当たるが、ホツマではトトヒメは別に存在する
・タケハニヤス:孝元天皇とハニヤスヒメの子で、オオヒコの異母兄弟。『記紀』のタケハニヤスヒコに当たる

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原文(漢字読み下し)

【ミマキの代(よ) 任那(みまな)の文(あや)】

・瑞籬(みつかき)の 十年九月(とほな)の十七日(そなか)
・越(こし)の治人(をし) オオヒコ帰(かえ)り
・申(もふ)さくは 行(ゆ)く山城(やましろ)の
・奈良坂(ならさか)に 少女(おとめ)か歌(うた)に

・みよミマキ イリヒコあわや
・己(おの)か副(そゑ) ぬすみ退(し)せんと
・後(しり)つ門(と)お い行(ゆ)き違(たか)ひぬ
・前(まえ)つ門(と)よ い行(ゆ)き違(たか)ひて
・窺(うかか)わく 知(し)らしとミマキ
・イリヒコあわや

・徴(しるし)かと 君(きみ)これ諮(はか)る
・モモソ姫(ひめ) 生(う)れ聡(さと)くて
・これお知(し)る 君(きみ)に申(もふ)さく
・これ徴(しるし) タケハニヤスの
・背(そむ)くなり 我(われ)聞(き)く妻(つま)の
・アタ姫(ひめ)か 香久山埴(かくやまはに)お
・領巾(ひれ)に入(い)れ 祈(いの)りて地(くに)の
・物実(ものさね)と これに如(こと)あり
・早(はや)や謀(はか)れ

・諸(もろ)謀(はか)る内(うち)
・早(はや)や既(すて)に タケハニヤスと
・アタ姫(ひめ)と 軍(いくさ)起(おこ)して
・山城(やましろ)と 妻(つま)は大坂(おおさか)
・道(みち)分(わ)けて 共(とも)に襲(おそ)ふお

・御言宣(みことのり) イサセリヒコお
・大坂(おおさか)え 向(む)かひアタ姫(ひめ)
・討(う)ち破(やふ)り 遂(つい)に殺(ころ)しつ
・オオヒコと ヒコクニフクと
・向(むか)わしむ

・ヒコクニフクは
・山城(やましろ)の ワニタケスキに
・斎瓮(いんへ)据(す)え 兵(つはもの)率(ひ)きて
・軍(いくさ)立(た)て 木茅(きかや)踏(ふ)み平(む)け
・手柏(てかしわ)の 戦(いくさ)ます勝(か)つ
・奈良坂(ならさか)そ

・またオオヒコは
・下道(しもみち)に ワカラアクラと
・合(あ)ひ挑(いと)む

・ハニヤスヒコは
・川北(かわきた)に ヒコクニフクお
・見(み)て曰(いわ)く 汝(なんち)何故(なにゆえ)
・拒(こは)むそや クニフク曰(いわ)く
・これ汝(なんち) 天(あめ)に逆(さか)ふお
・討(う)たしむと 先(さき)争(あらそ)いて
・ハニヤスか 射(い)る矢(や)当(あた)らす
・クニフクか 射(い)る矢(や)は当(あた)る
・ハニヤスか 胸(むね)撃(う)ち殺(ころ)す
・その軍(いくさ) 敗(はふ)れ逃(にく)るお
・追(お)ひ討(う)ては 我(わ)君(きみ)我(わ)君(きみ)と
・流(なか)れ去(さ)る 軍(いくさ)収(おさ)めて
・皆(みな)帰(かえ)る

・十月初日(めつきはつひ)に
・御言宣(みことのり) 内(うち)は平(む)けれと
・外方(とつ)粗(あ)るる 四道(よみち)の軍(いくさ)
・発(た)つへしと 二十二日(すえふか)に発(た)つ
・四方(よも)の教(をし)ゑ人(と)

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現代語訳文の目的・留意点

・この現代語訳は、内容の理解を目的としています
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています
・原文や用語の意味などについては「ほつまつたゑ 解読ガイド」をベースにしています
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)
・予告なく内容を更新する場合があります